発明「エジソンは偉い人?」

発明(はつめい)とは、従来みられなかった新規な物や方法を考え出すことである。作られた新規なもの自体を指すこともあり、新規なものを作る行為自体をさすこともある。既存のモデルや観念から派生する発明もあれば、まったく独自に考案される発明もあり、後者は大きな飛躍を生む。社会の風習や慣習の革新も一種の発明である。当業者にとって新規性と進歩性が認められる発明は、特許を取得することで法的に守ることができる。(Wikipediaより)
それまで世になかった新しいものを,考え出したり作り出したりすること。(三省堂 大辞林より)
こうしてみると,誰にも成し得なかったこと,無から有を生み出すことが発明だという印象が強いだろう.特に発明家として名を挙げる偉人は誰もがそうではないかと思う.しかし,実際はどうだろうか?

エジソンへのイメージ

発明家として誰もが知っている人としてはトーマス・エジソンがあがるだろう.三大発明として,
蓄音機 (1877年) 音を記録し再生する蓄音機(フォノグラフ)の発明に成功
白熱電球 (1880年) 京都の竹フィラメントを用いて、白熱電球の長寿命化
映画 (1889年) 動画撮影機キネトスコープを発明
が挙げられる.しかしこれらをエジソンが独創的に発明したとは断定できない.多大な研究により偉大な功績があるのは確かなことであるが,いずれの発明も先行発明や類似発明があり,裁判沙汰になっている.別名に「発明王」と並んで「訴訟王」があるほどである.

蓄音機

蓄音機を製品化したのはおそらくエジソンであろう.蝋(ロウ)を円筒状にしたものである蝋管を用いるため蝋管再生機とも呼ばれる.音を捉える振動板の動きを記録媒体に針で刻み付けて録音し,針が記録媒体に刻まれた溝に沿って振動板を動かすことで再生できるいたってシンプルなものであるがこの原理はレコードでも使われた.
ただし,フランスのシャルル・クロが,「フォノトグラフ」によって煤に描かれた音声信号の波形を何らかの方法で凹凸に変え,振動板と連動させれば再生できるという論文をエジソンの発表前に書いている(製品化はしていない).そのためフランスではシャルルが発明したとされている.
なお,蓄音機を発明したきっかけは,グラハム・ベルとの電話競争(ただしこれも議論あり,気になる方は参考文献をチェック)での敗北という苦い経験があるからである.「電話を伝言板のように使えないだろうか」というひらめきから来ており,音を記録するための装置の開発に至った.もっとも,そのベルも蓄音機の分野に乗り出しており,格段に性能を向上させた「グラフォフォン」を開発した.さらに,ベル研究所から独立したエミール・ベルリナーがレコード型である「グラモフォン」を開発している.ベルリナーが作ったグラモフォン社はいくつかの変遷を経て,現在の世界的な音楽企業・ビクターになっている.

白熱電球

白熱電球も一般的にはエジソンの発明と言われる.京都の竹を炭化させることで2450時間もの間明かりをつけることに成功しているため日本でも印象深い.そのため「実用化」には貢献しているといえる.しかし,エジソン以外にも白熱電球を研究開発した科学者や発明者は大勢いた.特にイギリスのジョセフ・ウィルソン・スワンであり,1877年には紙を炭化させたフィラメントで40秒間電球を点灯させることに成功し,木綿電球に変更することで40時間まで伸ばした.1878年には特許が認可されているため明らかにエジソンより早い.それにより当然訴訟は発生し,「エジスワン社」を設立することで和解した.
白熱電球はスワンが発明し,エジソンが実用化したほうがいいのかもしれない.しかしそれでもエジソンのイメージが強いのは,エジソンが精力的に取り組み,アピールしたからである.新製品の電球を全身にまとって街中を歩いたこともあれば,1889年のパリ万博では1万の電球で光のショーを繰り広げている.

映画

映画の発明家としては米国人ならだれでもエジソンと答えるであろう.フランス人はリュミエール兄弟と答えるだろう.それもそのはずで,互いに違う方式だからである.技術的に大きく分類すると覗き箱方式と映写方式に分けられる.
エジソンは覗き箱方式の開発者である.1889年に「キネトスコープ」を発表している.木製の箱にコインを入れると電灯が付き,モータが回転してフィルムが動き出す.1秒辺り46コマ遅れ,長さは15メートルほどあるが映写時間は40秒ほどに過ぎず,覗き穴1つあたり1人しか見られなかったため,おもちゃの域を出なかったと言われる.
リュミエール兄弟(オーギュスト,ルイ)は,映写方式を追求した.そのきっかけは,エジソンの開発したキネトスコープを父が目の当たりにしたことだとされる.キネトスコープを改良,映像をスクリーンに投影することで多くの人が一度に鑑賞できる「シネマトグラフ」を開発することになった.エジソンも映写方式の利点に気付かされてか,スクリーン投影式の映写機「ヴァイタスコープ」を開発している.
こうして見ていくと映画の発明家は先にフィルムを導入したエジソンと解釈できるし,本来の姿である映写方式の導入からリュミエールとも解釈できるだろう.しかし,先駆者もやはりいるのである.
イギリスの写真家であるエドワード・マイブリッジは,競馬審判用に,12台のカメラを並べて馬がその前を通ると順次糸が切れ,連写する仕掛けを作り,馬の動きが記録できるようになった.キネトスコープ発明の12年前の1877年のことである.この装置は「ズープラクシスコープ」と名付けられて全米講演旅行で披露しているがその途中でエジソンを訪問している.しかし.マイブリッジは映画の発明家とされていない.
また,映写方式にしてもリュミエール兄弟以前にフランスのオーギュスタン・ル・プランスの発明がある.立体映画を作るため複数のレンズを用いた撮影機を開発し,1888年には特許が出ている.ところが,米国に出かける途中で突然失踪した.この失踪に関わった張本人がエジソンだという噂も流れた.

発明とは「いかに盗む」か?

エジソンは,「商工業の世界では誰もが盗む.私自身もずいぶん盗んだものだ.肝腎なのはいかに盗むかである」という言葉を残している.盗む=既存のものを活かすだと思われる.発明とは無から有を生み出すだけではないことを示している.
とはいえ、技術を世に広めた意味では「偉い人」であることは間違いないだろう.
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