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団塊の世代と音楽史 Part2

アーバンNさん執筆。コーナーの廃止より移転しました。
原則原文通りの掲載です。量があるのでpart別にリンクを用意しています。

グループ・サウンズ・ブームは数年で去り、ほとんどのグループも解散してしまった・・・。 そして1970年代にはフォーク・ミュージックが流行した。 主なアーティストといえば、吉田拓郎、グレープ、赤い鳥、イルカなどが挙げられる。これらのアーティストは大体団塊の世代である。 この頃20代半ばになった団塊の世代は「結婚」について真剣に考えるようになった。それもあってか1972年に吉田拓郎の「結婚しようよ」「旅の宿」が連続ヒットした。吉田拓郎によってフォークは表舞台に出た、と言っても過言ではない。しかしフォークシンガーはライブという形でファンを広げ、ほとんどの人がテレビを敬遠した。 フォーク・グループのヒット曲といえば、かぐや姫「神田川」、赤い鳥「翼をください」、グレープ「精霊流し」チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」などが挙げられる。 一方、ロックバンドもこの頃存在していた。1975年、「アンタ、あの娘の何なのさ」という流行語を生み出した ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は大ブレイクした。他には、キャロル・RCサクセション などもいたが、正直この頃ロック事情は厳しいものであった。 GSのときのボーカルもこの頃ソロデビューしていた。1977年のレコード大賞受賞曲は沢田研二「勝手にしやがれ」 だった。この頃はGS時代には出させてもらえなかった紅白歌合戦にも出場し、「トリ」も勤めたほど。 他には、元スパイダースの堺正章やかまやつひろし(ムッシュかまやつ)もソロデビューしていた。 (スパイダースやタイガースについてはPart1を参照のこと) あと、団塊の世代のアーティストではないが、女性シンガーソングライターが現れたこともこの頃。 荒井由実(現・松任谷由実)や中島みゆきが登場してきたことも特徴の一つである。 この頃のアーティストで線引きが難しかったのがアリスだ。「チャンピオン」「冬の稲妻」などのヒット曲があるが区別しにくい。2000年・2005年に紅白に出場。なお、活動停止後もソロとして谷村新司と堀内孝雄が活動中。 谷村はポップス路線(「昴」でヒット)、堀内は演歌路線(「Thank you!」と歌い終わるのは有名)に。 ジャンルが分かりにくいのはそのためだったのか。

(補足)
かぐや姫の「神田川」の歌詞中に「三畳一間」とあるが、「四畳半フォーク」と呼ばれていた。正確には、やはり三畳のほうが正しいという。 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」はタイトルもグループ名も曲の演奏時間も全てが 長い。4分34秒。当時としてはかなり長い。反対面の「カッコマン・ブギ」は2分26秒。いや~、長い長い。 フォークは75年頃から「ニュー・ミュージック」と呼ばれることになる。根っからのファンはこの呼び名を嫌った。

Part3